2018-03-16 第196回国会 衆議院 地方創生に関する特別委員会 第3号
島根県の取組を一つ紹介しますけれども、隠岐の島の海士町というところに山内町長という名物町長がおりまして、ことしの五月に勇退をされるんですけれども、この山内町政の時代に、海士町の隠岐島前高校という高校があるんですが、ここを、一クラスしかなかったのを二クラス化を実現しました。
島根県の取組を一つ紹介しますけれども、隠岐の島の海士町というところに山内町長という名物町長がおりまして、ことしの五月に勇退をされるんですけれども、この山内町政の時代に、海士町の隠岐島前高校という高校があるんですが、ここを、一クラスしかなかったのを二クラス化を実現しました。
ここは人口二千四百の小さな、もう本当に離島の小漁村でありますけれども、二〇〇二年にNTTを辞めて町長さんになられた山内町長さんが、このときは小泉政権で地方交付税もカットされた時期でありまして、もう何とかしなければ生き残っていけないということで職員たちと知恵を振り絞って、そこで、従来は自分のところで取れた水産物は隣の県の境港に持っていかなきゃいけないんですけれども、時間も掛かって買いたたかれます。
山内町長さんは、建設関係からはもう脱皮しなきゃならぬとか、そういうことを言っていらっしゃることも事実なんですが。 平成十六年に、小泉改革のとき、地方交付税がいきなり一二%削減されて、あの当時どうやって生きていくというのは、各町村、それがある面での市町村合併につながったんですね、三千二百あるのが千八百まで。あれは要するに、もう合併しなきゃやっていけないと。
ところが、海士町の実は山内町長は、これに積極的に食い付いていって、それで一年たったら、海士が嫌なんだったらもう帰りなさい、海士気に入ったらここにおりなさいというような積極的な判断をしたわけであります。 そして、私自身が今懸念をいたしますのは、やはりこの総合戦略が単年度で終わるということになります、例えば三十一年度までは決まっておりますが。
そこへ、十数年前の町長選挙において今の山内町長さんが、もう公共事業だけに頼る町はできないんだ、国からの交付金に頼る町もできないんだと。
このふるさとテレワーク、そもそも何が問題かというと、要は、地方部にて、都心から若い世代の方々が仮に移住して働くということになったとしても、旦那さんの収入だけではなかなか食べていけない、奥さんもちょっと働きたいと言いつつも、なかなか奥さんが働けるような仕事がないというような話が、実は先ほど申し述べた山内町長の本の中にも書いてありました。
○濱村委員 今、ビジネスのわかる人ということで、海士町の事例も引かれましたけれども、私自身も昨年の九月に海士町へ行ってまいりまして、山内町長ともいろいろ意見交換をさせていただき、そしてまた、この前の委員会でも、大臣が山内町長の本を紹介されておられましたので、私も読もうと思いまして、ただ、今売られていないということで、とりあえず、まずは国会図書館で借りたわけでございます。
例えば、先日も予算委員会で答弁しましたけれども、島根県の海士町の山内町長は、昨年十一月、私も現地でお会いをした際に、小泉さんのお父さんには大変な思いをさせられたよ、地方交付税を相当カットされて、あのときは本当に大変だったんだ、だけれども、今思えば、あれから変わったんだよ、あのときに交付税を相当切られて、もうこれはだめだ、そう思ったときに、役場に指示してシミュレーションさせた、そうしたら、恐らく五年後
山内町長も、進次郎さんは大変将来有望な政治家だと言っておられましたよ。 海士町では、このようにIターンの二十代、三十代の若い人たちが活躍しています。
山内町長の、みずからの給料を五〇%カットし、そして、吉元課長初め町の幹部の皆さんがそれに呼応する形で三割カットをし、そして、それを見ていた町民の皆さんが、町の皆さん頑張っているなということで、バスに対する補助金をカットしても構わないという自主的な声が生まれ、まさに覚悟のあるまちづくりをなし遂げた結果が、さざえカレーであり、CASシステムでもあり、また島留学でもあると思いますので、この海士町の山内町長
そして、それは、本気で取り組むことによって改革はなし遂げられる、まさに海士町の山内町長が教えてくれるとおりだと思います。ぜひ本気の取り組みを期待して、終わりにさせていただきたいと思います。 ありがとうございました。
そのときに、その山内町長がこの「離島発 生き残るための十の戦略」という本を書かれているということを伺って、すぐ取り寄せて読ませていただきました。この本の帯に、財政破綻前夜、生き残りに向けて立ち上がった離島の町。難問解決のヒントがここにあると書いてあるんですが、本当にそのとおりだなというふうに思いました。
それを、志を果たしに、いつの日にか帰らんと歌詞をかえて「故郷」を歌ってくださいということで、山内町長と町の職員の皆さんと学校の先生と一緒に、歌詞をかえて「故郷」を歌いました。
この海士町、山内町長を中心にした取り組みで、島おこし、あるいはIターンの若者が多いことでよく知られるようになりました。島の名前は中ノ島といいまして、後鳥羽上皇の流刑地としても有名な、隠岐・島前の入り口の島であります。新しい冷凍技術、CAS冷凍技術を使った水産物とか、潮風ファームの隠岐牛を東京に出荷をし、大変高い評価をもらっておいでになります。
山内町長さんもお話のありましたように、古座川町の役場の職員、これは古座川町内で住むのではなくて、その近辺のもっと便利のいい町へ引っ越していくわけです。そこから通っていると、子育てをそこでするといったふうな現象が出てきております。それが非常に我々としても心苦しい、困った状態で、今後どうしていけばいいのか、それも課題の一つというふうになっております。
そういった中で、今までの山内町長さんのお話なんかを聞いていますと、それからまた上勝町の葉っぱ産業、あれなんかを見てみますと、比較すると、古座川町は非常にまだ取り組み出してから日が浅い。そういった意味で、若者が入ってくるのがまだ遅れているというふうに思います。ある程度その地域づくりがしっかりと根付いたときに自然と若者が入ってくるんじゃないかというふうに思っております。
いろんな意味で、山内町長さんは日本の将来の縮図だというふうなことも先ほどおっしゃられましたけれども、まさに日本は今急速な少子高齢化、そして人口減少の社会、あとGDPの一・八倍とも言われる借金を抱えていると。